数日後。
どうにかこうにか七海の御機嫌を取り戻した一鍬は、住居問題を早急に片づけるべく吼太に相談を持ちかけていた。
(二度と鷹介には口を出させるものか)
心の中で一鍬はそう誓う。
(もう二度とあそこには行きたくない・・・)
あそこ。
すなわち「ケーキバイキング」。
七海の怒りを解くためとは言え、あのような生き地獄に等しい場所には二度と足を踏み入れたくない一鍬であった。
「・・・一鍬、聞いてるか?」
つんつん、と突かれて一鍬は我に返った。
目の前には住宅情報誌を広げた吼太が困ったような顔で座っている。
「あ、ああ、すまん」
「いいかい?俺は協力はするけど、最終的に決めるのは一鍬だからな。しっかり考えろよ」
「う、うむ。よろしく頼む」
「じゃ、まず、エリアだけど七海のマンションに近いとなると、やっぱり渋谷区内だと思うから、それでいいか?」
「うむ」
一鍬が頷くと、吼太は指定エリアのあたりのページをめくった。
「で、広さは・・・一鍬一人で住むんだから単身者向けでいいよな」
「そう、だな・・・」
該当する物件に赤丸を付ける吼太。
「あとは、家賃とか築年数とか設備とかだよな・・・ああ、ここなんかどうだ?」
開いたページの右上を吼太の指がさす。
どれどれと一鍬がそれを覗き込んだとき、忍者にあるまじき、にぎやかな足音が飛び込んできた。
「一鍬ーーーー!あ、いたいた!」
現れたのは予想通りというか、分かり易すぎるというか・・・満面の笑みを浮かべた鷹介。
またしても嫌な予感が一鍬の背筋を駆け抜けた。
だが、名指しで呼ばれて無視するわけにもいかない。
「・・・なんだ、鷹介」
しぶしぶ一鍬は応えた。
「へへへ〜、チョー特ダネ!!」
よくぞ聞いてくれた!とばかりに鷹介は得意げに胸を張る。
まるきり子供のようなその笑顔は可愛いと言えないこともない。
これを前にして「あの」兄がだらしなく鼻の下を伸ばしているのを嫌になるほど見た。
だが、今、間違いなくこれは不吉だ。
「実はさ、すっげえいい物件みつけたんだよ。もう、一鍬、気に入ること間違いなし!」
物件。
一鍬は思わず天を仰いだ。その隣で吼太がこっそりと十字を切る。
だが、すっかりテンションの上がってしまっている鷹介の申し出を断ることなど誰に出来よう。
頼みの綱の兄はまたしても不在だった。
「・・・どんな物件だ?」
仕方なく一鍬はそう言った。
そう、話を聞くだけなら問題ないだろう、という姑息な手だ。
が、一鍬の返事を聞いてさらにキラリと光った鷹介の目を見てそれが間違いだったと気づく。
「百聞は一見にしかず!見に行こうぜ!」
断る間もなくがっしりと二の腕を掴まれてしまった。
「い、いや、その、鷹介、俺は・・・」
「いいっていいって。ちょうどオレも今日はヒマだしさ」
「よ、鷹介ちょっと待・・・」
慌てて止めに入った吼太だったが、鷹介はその腕をも取った。
「ちょうどいい。吼太も一緒に見に来いよ。な、いいだろ?」
ミイラ取りがミイラになる・・・そんな言葉を吼太が思い出したとしても後の祭りだった。

「ココ!ここの5階」
連れてこられたのはごく普通のマンション。とりたてて新しくもないし、駅からもさほど近くはない。窓は北寄りの東向きだ。まあ、ベランダ側が公園に面しているからそこそこ日当たりは確保はできようだ。
「ここがどうだというのだ?」
「ま、上がってみろって」
「上がる?不動産屋を呼んであるのか?」
鷹介の手回しのよさに吼太が驚く。
「なに言ってんだよ。見るだけなのにそんなことする訳ないだろ」
言うなり鷹介の姿が消えた。
垂直に飛んだのだ。5階のベランダまで。
(誰かに見られたらどうする!)
同時に胸の中で叫びながら一鍬と吼太は、上から手を振る鷹介を睨みつけた。
『へーき、へーき。誰もいないじゃん』
風とともに二人にだけ届く声。
『お前らも上がってこいよ』
呼ばれてしまえば仕方がない。
二人は顔を見合わせ、続いて周囲に目を走らせてから飛び上がった。

「で、これのどこが絶好の物件だというのだ?」
閉ざされたガラス扉から中を覗き込みながら一鍬が訊いた。同じく中を覗いた吼太も首をひねる。
典型的な1Kマンション。悪くはないが第一印象通り、絶好というほどではないはずだ。
「へっへ〜。あれ、なーんだ」
あれ、と言われて振り返った一鍬と吼太だが、なんのことかピンとこない。鷹介の指さす方向には公園とその向こうのビル群が見えるだけである。
「だからあれだってば。あのベージュの壁のマンション!上から二つ目の右から四つ目の部屋!」
じれったそうに鷹介が指を振る。彼が指しているのは公園の向こうのビルの一つだった。
「あ!」
「あ!」
一鍬と吼太は同時に声を上げた。
「あれは・・・」
「七海の・・・」
そう、それは七海の引っ越し先のマンションだったのだ。
「そーいうこと!しかも!」
そう言って鷹介は懐に手を入れた。
「じゃーん」
取りだしたのは双眼鏡。
「「?」」
再び疑問符を浮かべる二人を見て、鷹介はニヤリと笑った。
「これを使えば、なんと部屋の中までバッチリ見えるんだぜ!」
吼太撃沈。
(それは犯罪だーーーー!!)
という吼太の叫びは・・・いち早く目を輝かせた一鍬と、完全な「えっへん、どうだい」なモードに入ってしまっている鷹介を前に、飲み込まれてしまった。
「な、一鍬、すごいだろ?」
そんな吼太をよそに一鍬は鷹介の隣で双眼鏡を覗いている。
「う、うむ・・・カーテンの柄まで分かるぞ」
「七海って忙しいじゃん。でもここに住んでりゃ毎日会えるだろ?」
「・・・鷹介・・・」
双眼鏡から目を離し、一鍬は鷹介を見つめた。
「鷹介!礼を言うぞ!」
「へへっ、水臭いぜ、一鍬!」
がしっ、と手を組む二人。
(鷹介・・・一鍬・・・)
肝心なことがすっかり抜け落ちている彼らにどう常識を伝えればいいのだろう・・・と吼太は頭を抱えた。
当の二人はその吼太をよそにすっかり舞い上がっている。
「あ、七海!」
鷹介が叫んだ。
「何っ!」
一鍬が身を乗り出す。
吼太も慌ててそちらを見た。公園の木々の間からマンションの入り口に泊まった黒いワンボックスが見えた。その傍にいる女性は確かに七海のようだ。
一人ではなく、数人の男がそのまわりを囲んでいる。
黒っぽい服装にサングラス。
七海が絡まれている、と取れなくはないが、七海の世を忍ぶ仮の職業を考えれば、その関係者だと普通は予想は付く。
だが、普通でない考え方の男もここにはいた。
「七海!」
一鍬の声にまずい、と瞬間的に吼太だけでな鷹介も気付いた。
が、二人の行動は恋する男のそれには一歩及ばなかった(決して忍としての技量の差でない、とは後の鷹介の弁)。
稲妻のごとく5階のベランダを飛びだした一鍬は、鷹介と吼太が追いつくより早く「敵」をなぎ倒す。
地面に昏倒した4人の男には目もくれず、一鍬は七海を抱きしめた。
「七海、無事だったか!」
「い、一鍬!!」
七海が驚きの声を上げるのと鷹介&吼太の到着が同時。
「鷹介!吼太!なんで・・・あーっ!」
そこでようやく彼女はまわりの事態に気がついた。
慌てて一鍬の腕を抜け出し、地面に伸びている男たちに駆け寄る。
「馳さん!みんなも!」
「大丈夫だ、七海。みんな気絶してるだけだよ」
素早く吼太が全員の容体を見て回る。
その言葉を聞いて七海はほっとした表情をし、続いて憤怒の表情で背後を振り返った。
「い〜〜〜しゅ〜〜〜〜〜!」
吹き上がる愛しの君の怒りのオーラに気圧されるように一鍬は後ずさる。
「なんてことしてくれたのよ!」
「え・・・あ・・・」
爆発寸前の七海とその剣幕に声も出せない一鍬の間に鷹介が割って入った。
「待てよ、七海!一鍬はお前が襲われてると勘違いして・・・」
「襲われてる?」
じろり、と七海は一鍬を睨め付けた。
「そ、そうなのだ・・・あ、あそこから見ていて・・・」
七海の視線から逃げるように一鍬は先程までいたベランダを指さした。
「あそこから?なんで一鍬があんなところにいるのよ」
その指摘はもっともである。
「あ、それは・・・鷹介が七海の部屋がよく見えるからと・・・」
「あたしの部屋?!一鍬、まさか覗いてたの?!」
「覗く・・・あ、いや、そういう・・・」
ブンブンと首を振って一鍬は否定したが、七海の誤解を解くには全く力不足だった。
「信じらんない!!サイテー!!女の子の部屋を覗くなんて!」
「七海、違う!」
「誤解だ、七海!」
鷹介と吼太のフォローも怒髪天を衝いてしまった七海の耳には届かない。
「一鍬なんて、一鍬なんて大っキライ!!」
ばっしゃーん、と巨大な水柱が一鍬を襲った。
しかし、それをまともに浴びたことよりも、投げつけられた言葉の意味に一鍬は衝撃を受けていた。
ダイキライ・・・
大キライ・・・
大嫌い・・・
フラフラと一鍬は数歩下がり、次の瞬間、踵を返して走り出した。

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