「・・・鷹介、ホワイトデーとはなんだ?」
バレンタインデーが終わると同時に街を席巻し始めた装飾を見て一甲が尋ねた。
先日まで同じ場所にあったものとよく似た飾り付けだが、ピンクだった部分が淡いブルーに変わっており、文字だけがバレンタインからホワイトになっている。
「ああ、バレンタインデーのお返しをする日だよ」
義理チョコには義理返し、友達にはそれなりに、そして本命には誠意をもってお返事する、そんな日である。こちらの場合は本来の意味などなく純粋にバレンタインの対として作られたらしい、と鷹介は説明した。ところどころ「らしい」が入るのが鷹介らしい。
「ふむ。もらったら礼をするというのは道理だな・・・で、やはりチョコレートなのか?」
「いや、何でもいいみたいだぜ。クッキーとかキャンデーが多いかな、オレの場合・・・っと、昔の話だからな!」
例によって釘を刺す鷹介に一甲は苦笑するしかない。
「わかっている。あまりそうムキになると余計に気になるがな」
「気にしなくていいってば・・・まったく。あ、でも今年はどうしようか」
ちらり、と一甲を仰ぎ見る。
「また一緒に作るか?この間のように」
この間、すなわちバレンタインは結局、七海を拝み倒して二人でチョコレートケーキを作った。無理矢理講師にされた七海には少し気の毒だったが、とても楽しかった二人である。
「え〜、でも今回は七海は作らないから先生がいないし・・・あ!」
突然、鷹介が立ち止まった。
「どうした?」
「お前が知らないってことは、一鍬も知らないよな、ホワイトデー」
「そうだな。だが、七海が教えているだろう」
一甲の意見はもっともだったが、鷹介はかぶりを振った。
「教えてねーよ、絶対!だって教えたら、いかにも、お返しちょうだいって感じになるじゃん。七海、そういうとこカッコつけるから、絶対、教えてないって。よし、オレが教えてやる!」
「しかし、お前のアドバイスは役に立たなかったぞ」
牛騒動。二人の脳裏に夏の日の恐ろしい光景がよみがえる。だが、あの場合、「かわいい動物」と言った鷹介よりも、そう聞いて「生きた牛」を連れていってしまった一鍬の感覚のズレのほうが問題だったはずだ。
「だから今度は具体的にちゃんと教えるって」
任せておけ、と胸を叩くかわいい恋人に一抹の不安を覚える一甲だった。
「さあ、一鍬、がんばって選べよ」
どん、と景気よく鷹介に背中を押されたが、一鍬は困惑するばかりである。
ホワイトデー。
連れられてやって来たショッピングモールにはその文字が氾濫していた。
さっき鷹介に教えられるまでそんな日があることも知らなかった一鍬にしてみれば、なにをどうしていいのかわからないのが実情である。
「兄者・・・」
と、ついいつもの癖で兄を頼れば、
「残念だが、今回は俺は役に立たん」
と、返される。
頼みの綱の鷹介は
「なんでもいいんだよ。要は七海に“好きだ!”って言うだけなんだから」
などと言う。
それができれば苦労はしていない!一鍬は声を大にして叫びたかった。
が、叫んでも仕方ないので、売り場を回ることにした。
ホワイトデー特設売り場を回ること1時間。
「これは?」
と鷹介が聞けば、
「・・・違う気がする・・・」
と一鍬が答える。
この1時間、延々とこの繰り返しである。
「じゃ、こっちは?」
「・・・違う」
「だー、もう、そんなんじゃいつまでたっても決まらねえよ!」
何を見ても首を縦に振らない一鍬に、ついに鷹介が切れた。
「なにが違うんだよ。お前、本気で探す気があんのか?」
「ある」
一鍬は即答する。
探す気はあるのだが、いかんせん、コレ、というものがないのだ。
七海なら何を贈っても喜んでくれるとは思うのだが、どうせならとびきりのものを渡したい。
バレンタインデーに七海がくれたチョコレートケーキは手作りだった。
上にかかったチョコレートがつややかに光るハート型のケーキに書かれた「I LOVE YOU」の白い文字。
それがとても嬉しくて、同じ思いを自分も抱いていると伝えたかった。
なのに出てきた言葉は「ありがとう」の一言。
七海はにっこりと笑って「どういたしまして」と言った。その表情が残念そうに見えたのは見間違いではないと思う。
たぶん本当は鷹介のように飛び跳ねて喜ぶべきだったのだろう。あるいは一甲のように抱きしめてキスの一つもする場面だったろう。
でもどちらもできなかった。
情けないことだ。
だから選びたいのだ。その時の思いも一緒に伝えられるくらいのものを。言葉より雄弁に気持ちを伝えられるものを。
「もう、いっそ指輪でも贈ったら」
投げやりに鷹介が言う。
「指輪?」
「エンゲージリング。もう面倒くさいからプロポーズしちゃえば」
「プ、プ、プロポーズ?!」
思いも寄らぬ単語の出現に一鍬が飛び上がる。
「こら、鷹介、面倒くさいとはなんだ。任せておけといっただろうが。最後まで責任を持って一鍬を指導してやれ」
ずっと傍観者を通していた一甲がさすがに口を挟んだ。
「だってさ〜、手作りより凄くて、絶対気持ちが伝わるモンって言ったらそれくらいしかないじゃん。こんなんじゃいつまでたっても決まんねえって。だいたい、お前ら兄弟は極端すぎんだよ。何にも言えねえ一鍬と、どこでもお構いないしの一甲、足して2で割るとフツーなんじゃねえ?」
「お構いなしとはなんだ」
「お構いなしじゃんか。どこででも“愛してる”を連発しやがって。恥ずかしいったらねーよ」
「俺は自分の気持ちに正直なだけだ」
「そうとこだけバカ正直って・・・一鍬!」
鷹介の叫びと同時に一甲の手が出て、崩れ落ちた一鍬の体を支えた。
「どうした、一鍬!」
かろうじて膝をついた一鍬だが、顔面蒼白で額には汗がにじんでいる。そういえば少しずつ動きが鈍くなっていたなと一甲は思う。
「一鍬、大丈夫か?」
「・・・気持ち、悪い・・・」
心配そうな鷹介の問い掛けに呟くように答えて一鍬は意識を手放した。
気がついたら一鍬はベッドの上だった。
飛び起きてみれば、現在、皆で仮住まいしているおぼろ研修所の一室。
確か、兄と鷹介の三人で買い物をしていたはずだが、とあたりを見回せば、
「あ、一鍬、起きたんだ」
ベッドサイドに花のように微笑む最愛の人。
「ななみ・・・」
「大丈夫?だいぶ顔色は良くなったけど」
「俺は・・・」
「人込みに酔ったんだろうって、一甲が言ってたよ」
「そうか・・・」
情けない。あまりの情けなさにどっと自己嫌悪の波が一鍬に押し寄せる。
どうして自分はこうも醜態をさらしてしまうのか。
「んもう、心配したんだからね」
怒ったような口調に慌てて目を上げれば、少しだけ頬を膨らませた七海がいた。
「あ、す、すまない・・・」
一鍬が素直に謝ると、膨れっ面が破顔する。にっこり笑う表情から彼女が本気で怒っていないことが察せられた。
「いいよ。許してあげる。だいたい今回のは鷹介が悪いんだしねー。さっきたーっぷりお灸を据えといたから」
それは少し鷹介が気の毒かもしれない、と一鍬は思った。
「あたしね」
不意に真剣な顔で七海が言った。
「ホントに、お返しなんてなんにもいらなかったの。一鍬と一緒にケーキが食べたかっただけなの。けど、かえって気を使わせちゃったね」
「いや、それは、その・・・」
「鷹介に聞いたよ、1時間も売り場をぐるぐる回ってたって。ごめんね、もっと普通のチョコレートとかにすればよかったね」
「そんなことはない!」
思わず一鍬は声を荒げた。
「一鍬・・・?」
「あ、いや、その・・・いや・・・あ、あのケーキはとても美味かった。その、七海が俺のために作ってくれたのも、嬉しくて・・・」
一生懸命、一鍬は言葉を探した。
感情が言葉の出口を塞いでいるようなもどかしさ。
困って七海を見れば、彼女は微笑んだままじっと一鍬の言葉を待ってくれていた。
その微笑みに励まされて一鍬は言葉を紡ぐ。
「だから、その・・・それ以上のものを探していて・・・けど、どうしても見つからなくて・・・あげくがこのザマで・・・」
途切れ途切れのつたない言葉。それでも七海は聞いてくれる。
「俺は忍術のこと以外何も知らなくて、気も利かなくて・・・だが、俺は・・・七海が、七海が好きだ!」
その瞬間の七海を一生忘れないだろうと、一鍬は思った。
華やかな、まさに咲きこぼれるような笑顔。
この笑顔を守りたいと。
いつまでもそばにとどめておきたいと願ってもいいだろうか。
(プロポーズしちゃえよ)
鷹介のセリフが脳内にこだまする。
しかしそれはあまりにも突然すぎないか。
しかしこの機会を逃したら、二度と言い出せないかもしれない。
一鍬の心臓がかつてない早さで脈打ち始める。
体中の熱がすべて顔に集まっている様な気がする。
酸素が足りない。このままだと窒息してしまうかもしれないと頭の片隅でちらりと思った。
「七海・・・」
そんな一鍬が必死に言葉を搾り出した、まさに、その時。
「七海〜、一鍬起きたか〜?」
思いっきり間延びした声で闖入したのは・・・もちろん、鷹介だった。
鷹介に罪はない(たぶん)。
その行動も一鍬を気遣ってのことだろう。
しかし!
よりにもよって、狙い澄ましたように、あまりにも絶妙な、最悪のタイミングだった。
「鷹介〜〜〜〜〜〜〜」
自然と地を這う一鍬の声。
「あれ?どうしたんだよ、一鍬・・・?」
さすがの鷹介も身に迫った危険だけは察知できたらしい。
「問答無用!切る!」
「うわ〜〜〜〜〜〜っ!!」
ベッドから飛び降りた一鍬から間一髪身をかわし鷹介は逃げ出した。
「待てえっ!」
「うわ〜!一甲、助けてくれえ!」
遠ざかる二人の雄叫びと足音。
「・・・やっぱり前途多難か」
七海は盛大にため息をついた。