午後の仕事はめちゃくちゃ忙しくて(予定外の窓まで追加で磨かされた)、オレとしては「恋人問題」についてあれ以上は突っ込まれなくてほっとした。
事務所に帰って、道具を片づけて「寂しいモン同士飲みに行く」という二人と別れて家路についた。
「じゃあな〜カノジョによろしく〜」
別れ際に投げ掛けられた冷やかしが心に突き刺さった。
こんなところまで!と言いたくなるようなバレンタイン装飾の渦を抜けて、帰り着いたマンションの4階の廊下は相変わらず薄暗くて、オレは少しだけほっとした。
一番奥のオレたちの部屋だけは明かりがついていて、廊下に面した小窓からはいい匂いが漂ってきている。
匂いからすると今日のメニュー唐揚げだ。たぶん、しっかり醤油とショウガがしみてるやつ。オレがそういうのが好きだから・・・
ドアに伸ばした手がふと止まった。
オレの好み、一甲の好み。ちょっとずつ違うそれを一つずつ確かめてきた。
譲れないところと妥協するところを積み重ねてきた。
こんな幸せなことってないと思う。
なのに。
オレは言えなかった。
オレの恋人は霞一甲だって。誰よりも強くて優しくていい男だって。
恥ずかしかったわけじゃない。
白い目で見られるのが怖かったわけじゃない。
けれど。
どこかに“普通”でいたいオレがいるのかもしれない・・・。
カチャっと音がして目の前の鉄の扉が開いた。
「一甲・・・」
オレンジの光が灯る四角い空間に一甲が立っていた。オレのと色違いの黒いエプロンをつけている。
心配そうな顔。
そりゃそうだよな。気配はするのになかなか入ってこないなんてオレでも心配する。
けどオレの足は動かない。
いつのもように飛びつきたい衝動はちゃんとあるのに動けない。
すっと一甲の手が伸びて、オレの肩を引き寄せた。
オレを飲み込んだ玄関ドアが後ろで閉まる。
「唐揚げが冷めるぞ」
おかえりのキスと一緒に囁かれたのはそんな一言。
どうした、とも、なにがあった、とも一甲は訊かなかった。
オレの様子を見れば、いや、見るまでもなくオレの気配を感じるだけで、何かあったとわかっているはずなのに。だからわざわざ迎えに出てくれたんだろうに。
「一甲・・・」
暖かい肩に顔を埋めて名前を呼んだら、ぎゅっと抱きしめられた。
一甲の体温、一甲の呼吸、一甲の気・・・そして一甲の心。
じんわりとオレに流れ込んでくる。
「・・・好きだ」
呟いたら、頭上でふっと笑う気配がした。
「俺もだ」
鼻の奥がツンとなって泣きたくなった。
オレはなにをやってるんだろう。
泣き出してしまう前にオレは身体を離した。
「鷹介?」
「着替えてくる。腹減ったし!」
オレたちはいつものように食事をした。
一甲は何も訊こうとはせず、普段と変わりのない夜が来た。
オレが風呂から上がると、一甲はベッドで本を読んでいた。
オレに気づくと、本を閉じて手招きする。
誘われるまま隣に腰を下ろす。
一甲の唇が近づいてきてキスされた。
されるがままに任せて頭がぼうっとなったところで解放される。
「お前の様子がおかしいのは今日がバレンタインデーだからか?」
なにか訊かれるのはわかってたから驚きはしなかった。
バレンタインデー、たしかにそれがきっかけだった。
けど、それがこのモヤモヤの原因じゃない。
「オレ・・・お前の事・・・言えなかった」
一甲は怪訝そうな顔をしたけど、黙ってオレの言葉を待ってくれた。
「昼間、チョコレート売ってるのを見て・・・仕事の仲間と話してて、はずみで恋人がいるって言ったんだけど・・・カノジョ、どんな子?、って訊かれて・・・」
一甲が、ああ、という顔をした。
オレの恋人は察しもいい。
その顔をまともに見られない気がしてオレは下を向いた。
「オレ・・・オレさ、答えられなかった・・・」
俯いたオレの髪を一甲はくしゃりとなでた。
「それは、仕方なかろう」
「でも、オレ、お前のこと好きだし、恥ずかしいとか引け目に感じるとかそういうんじゃなくて・・・」
「わかっている」
「けど!オレ・・・!」
一甲の優しさがいたたまれなくてオレは言葉を遮った。
けど、一甲はそんなオレをぎゅうっと抱きしめた。
それを振り払う意志は、情けないけどオレにはない。
「鷹介・・・気にしなくていい。人は異質を嫌う生き物だ。それは親父のことでよく知っている。排除される辛さもな。だからお前にはそれを味わって欲しくない。特に俺のことでそうなるのは耐え難い」
「そんなこと、わかってる・・・それでも、オレは・・・そういう、まだ逃げてるオレ自身が許せない・・・」
わかってた。それでも一甲と一緒にいたいから、腹を括ったつもりだったのに。
「お前が許せないなら、俺が許す」
一甲の言葉に慌てて顔を上げた。
「お前の行動は間違いじゃない。それが社会生活というものだ」
シャカイセイカツ・・・一瞬、オレの脳が止まった。
変換。
社会生活。
まさか一甲からこの言葉を聞くなんて。
混乱しているオレの鼻を一甲がつまんだ。
「鷹介、今、何を考えたかわかってるぞ」
ぐいっと一甲の顔が迫ってきた。
「え?・・・わっ!」
勢いよくひっくり返されて、身体がバウンドした。
状況を理解する前に、押さえ込まれる。
身動きとれない。
プロレスならスリーカウントを決められてしまったところだ。
けど、見上げた一甲は笑っていた。オレだけが見ることができる極上の笑顔。
「鷹介、お前は間違っていない。黙っているのが辛いなら話してしまうのもいいだろう。だが、それで居辛くなるなら黙っていることも生きる術なのではないか?それはうそをついているとか誤魔化しているというのとは違うだろう?俺はこの一年でそう学んだつもりだが・・・違うか?」
「そう・・・かもしれない・・・でも・・・」
「いつか誰かが俺たちの関係を知った時、その時、嘘をつかなければいい」
断言されてしまうと、それでいい気がしてくる。
オレって単純・・・なんだよな、きっと。
そして、一甲は・・・いい男なんかじゃない。最高の男だ!
でも、なんか、素直にありがとうって言いにくい。
「なんか・・・お前だけ大人じゃん・・・」
「伊達に年はとっていない・・・と言いたいところだが、本音を言えば、俺以外の奴にお前の全てを見せたくないのだ。誰も知らない鷹介を俺だけが知っていたい・・・」
一甲の唇が近づいてきてオレの唇に触れた。さらに頬をかすめて耳を咬む。
くすぐったくてオレは身を捩った。
一甲の唇はさらに首筋を滑って行く。
「ん・・・」
たまらず声を漏らすと、一甲の吐息が揺れた。
「こういうお前を他人に教えてやる気はないぞ、俺は」
クックッと喉で笑いながら、一甲はオレのTシャツを脱がせにかかる。
「スケベ」
そうは言いつつ、オレもさっきまでこの世の終わりみたいな暗い気分はどこへやら。
「嫌いか?」
そう言って、覗き込んできた顔はとんでもなくセクシーで。
「・・・好き」
そう言ってオレは目を閉じた。
終
それでいいのか?>鷹介